すぐ先も見えないほどの白い世界。
それは自然な物としてはあまりに尋常でないくらいに濃い霧。
その森の深く、とても深く……。
「――舞夢」
名を呼ばれ、少年はゆっくりと瞑想中の瞼を開く。
ついさっきまで暗かった目の前に疎らな木漏れ日が現れる。
霧に包まれているが、鬼月陰だけには深いそれもかからない。
森の中の空は霞んで見えないけれど、ここからは穏やかな空色と燦々とした太陽を見上げられる。
木の下の少年はぼうっと思考を巡らす。
さて、声の出所は背後。
誰かは見なくても耳が覚えている。
長い時を共に過ごした付き合いだ。
「――カンフィス。何か用?」
「あたりめーだ。用があっから呼びに来たんだよ」
ランターン、カンフィスは呆れを含んだきつい口調で言う。
しかし、とうの舞夢はそれに何も動じる事無く、いまだ座禅を組んだままでさっきの1つ返事のみで振り向こうともしない。
マイペースと言うか、どこかずれていると言うか……まぁ今に知ったことじゃねーが。
そんな意味合いの溜め息をつき、間を開けてから呟く、カンフィス。
「……客だ。維魔寺の輩が訊きてぇことがあるだと」
私が唄を歌いましょう。
例えどんな音色であっても、
私は永劫と奏でると誓うから。
キミがそうしたように、
私も最後まで約束を守りましょう。
私の願いを叶えてくれたキミへ、
今度は私が願いを叶えてあげる番です。
それじゃあまた、
次に会えるのは一千年も先だけど、
キミにはほんの一時だから、
ゆっくりと休んでください。
だから私が歌い続けるその間は、
どうか善い夢であってください。
そして目が覚めたら、
一千年分の夢の話を聞かせてください。
私もキミに、
一千年分の出来事を教えるから。
それまでの間、
キミにとっては短い、
私にとっては長いその日まで、
おやすみなさい。
さあ、子守唄を歌おうか・・・――。
――――――――――――――――――――――――
さあ、よい夢の旅へ。
呟きは建物内の暗闇に溶ける。
基地の明かりを付けることもなく、そう、誰にも聞こえないくらいの独り言を漏らす。
そうして、また同じように誰にも聞こえないだろう忍ばせたような足取りで、自室――つまりは屋根裏まで慣れた歩調で進むネイティオ。
どの部屋も1つとして明かりはついていないし、また少しの物音もしない。
つまり、皆寝入っているのだろう。そこまで、今の時刻は遅い。
「・・・何?俺に用でもあるんですか♪」
ある昼下り。咲羽は目前の者にニッコリ微笑む。
今日は依頼の仕事も休み、基地でやることも無くいたのだが、同じく休みであった猫の視線が妙に気になる。
どうも何かこちらに訊きたげにも見えるのだから、咲羽はちょっと尋ねてみたのだが、
「ん~?別に。何もあらへんよ」
返ってきたのは気楽でのんきな短い言葉。
あ、そう。と咲羽も単調に返事して、会話も続かず終わるかと思われてしまったが、
「そういやぁ」
猫がふっと、思い出したように呟く。
いかにも独り言のようなそれはどうやら咲羽に対する言葉のようで、咲羽も欠伸を抑えて耳を澄ます。
「前から気になってたんやけど・・・咲羽君のネコのイメージってどんなんなん?」
ほら、咲羽君元々人間やし、ネコやて知ってるやろ。
と猫は笑って言う。
確かに咲羽は純粋なチルタリスではない、元人間。
それは猫にも言えることだが。
もとがネコである猫にとって、とても身近な人間――つまりは咲羽が自分たちのことをどう思っているかというものは、やはり気になるものなのだろう。
「・・・あー・・・」
しかし、咲羽は一度笑顔を崩す。
どこか心の奥で悩んでいるようにも見えるその様子。
それに猫も一瞬首を傾げるが、
「・・・あ!い、いいんやで別に!?ネコ嫌いとか、そんなん俺気にしやへんし!!」
なるほど、咲羽は普段猫とも上手くやっているが、確かに本当はネコ自体嫌いだ・・・という事だってあるわけで。
その事に気が付いた猫は慌てて言い訳の様に騒ぎ立てる。
「違うって。俺そんなことだったらフツーに言うし♪」
咲羽は再度ニッコリ――悪戯めかして笑う。
まぁ実際はそのほうが傷付くだろうが、猫もそんなことは気にならなかったよう。
なんやぁ。と安心した様に息をつく猫を見やり、咲羽がまた微笑む――どちらかといえば苦笑に近かったかもしれない。
「だって俺、人間の時外に出た回数なんて数えるくらいしかなかったんだし?」
安心するのも束の間、
「・・・え?」
咲羽の答えに戸惑いを、信じられないと言いたげな表情を見せる猫。
それを見て、予想していたと言わんばかりに咲羽が口開く。
「想像つかないかもしれないけどさ・・・俺、身体が弱かったんだよ。オマケに足が動かなかったから、外に出たくたって無理・・・ってワケ♪
だからネコだって写真か映像で見るくらい。だからよく分かんないんだよね♪」
咲羽は軽く言ってのける。どこまでも軽い調子で唐突だと言うことは猫も承知の上だがあまりに重大なそれに今回ばかりは本当に言葉が出ない。
しかし、ぽかんとしている猫に再度顔を向ける咲羽。
「だから猫さんの質問に答えられなくて止まってただけ、気にしないでよ?」
「ええ?いや、気にしやんといてっつっても・・・」
咲羽はニコニコとそう言うが、内容はそう軽いものでは無い筈。
猫もそれだけ気掛かりなようで苦笑混じりに顔を歪ませる。
言葉が出せなくて戸惑うそこで、咲羽はまた、ふぅっと息をつく。
「いいじゃん?今はこうやって騒げるくらいだし、喧嘩だって参加できる♪
現に猫さんより強さは上だしv大丈夫だしさ」
「・・・まぁ、そんな言うんならいいけど・・・」
猫はまだ気掛かりなようで、少々無理に納得した感じになってしまうも、そこでその話は――ほぼ咲羽で始まり咲羽で閉められる。
そうして猫の脳裏でそのことが残り気にはなるのだが、咲羽はまた小さく笑うだけでそれ以上何も教えようとはせず。
「だからさ、また教えてよ♪猫さんから見た『人間』をv」
ニコニコと微笑む咲羽の裏で、その言葉がどうも重みを帯びている気がして。
心のどこかで無理している気がして、しばらく猫には咲羽の笑顔が信じられなくなってしまった。
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■咲羽(チルタリス♂)
■猫(エネコロロ♂)