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小説置き場。更新は凄く気まぐれ。
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空気の層がいくつも重なり合って遠くの様子を青く色褪せて見せる。
水飛沫が騒ぐのを聞きながら、ムルは川をずっと下った先に、木々が密集しているのを見た。
その先は地平線もあってどうなっているかわからない。緑に覆い尽くされた範囲も、広いのか狭いのかおおよその範囲も掴めなかった。

どうしたものかと息を吐く。
川辺に打ち上げられてないかも注意していたが、見える範囲ではそれはなかった。
足元が崩れて落下した哀れな相手に、とんだ災難だと憂いの念を向けてみた。

ふと見下ろすと、それまで木陰にいたはずの狐笛の姿が消えている――途中、水に飲まれず残っていた岩を見つけ、どうにか流れに攫われること無く反対岸にたどり着いた彼女は嫌々ながら少女と合流を果たしていた。
咄嗟に視線を振り回す。少し先に、川下に向かって駆ける少女がいた。
あのクソガキ、と口の中に言葉を打ちつけ、彼女は慌てて木から飛び降りた。

「待ちっ、なっ、さいッ!」

追いついたところで飛びつくように押さえつける。
動きを封じられた少女は一瞬驚くも、珍しくその目を鋭く尖らせた。

「何するですか!」
「アンタこそ何やってんのよ!」
「早くしないとシルビィさんが流されるですよ! ムルさん遅いのです!」
「アタシやアンタが全速力出したところで水の流れになんて勝てっこないの! あー、もう! 大人しくしなさい!」

腕の下でジタバタ暴れる少女に声を荒げる。
しかし少女は怯む様子もなく、腕を払ったり足をばたつかせたり、必死な顔で振り払おうとし続けていたが、力の差は圧倒的であり、彼女が少女を抑え込むのは造作もないことだった。
しだいに疲れ果てた少女の攻撃はみるみる頻度を減らし、結局無駄だと分かったのか、訴えたげな目で彼女を睨みつつも、歯向かう素振りを止めると何か呻くような声を上げてうなだれた。
彼女はその様子を見てもなぐさめる気など起こらず、

「このまま行ったら森があんの! アンタまた迷うでしょ!」
「そんなこと――」
「ある!!」

おそらく反省などしていない少女を叱りつけて強引に説き伏せた。
少女は何かいいたそうに口を開くものの、考えなしの言葉に音は与えられず、ぱくぱくと動かすだけで閉口した。
恨めしそうな目がこちらを見る。
それに対して真っ先にムルが感じたのは不快感である。
これだけ周りに心配かけておいて、何を考えてるんだか。
オマケにアタシはがきんちょと行動しなきゃだし散々だ。
そんなことを考えていた刹那、そういえば、とありふれた疑問に気付く。
沈んだ顔の少女に、厳しい口調のまま問を投げかけた。

「アンタ、琴君や夢羽さんに迷惑かけて、あんな所で何やってたのよ」






風の吹いたのが聞こえた。耳元で草が擦れ合い、軽い音が耳につく。
揺れた葉が顔に触れてくすぐってきて、ふっと意識が浮上した。
すると遠くで何かが低い音を絶えず立てているのも聞こえた、けれど木々がざわつくのは聞こえなかった。
足の先に少し湿った感覚を知覚しながら、ぼんやりと視界を切り開く。
雲の漂う青空が目に飛び込んだ。

……あ、そっか僕、寝てたのか。なんで寝てるんだっけ?

寝ぼけた脳みそには求める理由が見当たらず、しばらく無心で上空を眺めていた。
頂上にいた日はいくらか落ち始め、まだ昼とはいえ数時間経てば夕日をおがめるだろう。
急がないとと思ったがどうして急いでいたのか頭がついて行かず、彼は、鬼月陰にやってきた琴、迷子の狐笛、途中ライラと一緒になって、次は……とぽつぽつと覚えていることの順を辿っていた。

確か、夢羽さん達に会って、それから――


「お目覚めいかが?」

不意にした声に咄嗟に飛び起きて退いた。
それを契機に今まで頭の中に散らばっていたものが一瞬で集約されて明確な記憶になった。
翻って見ると横になっていた場所、頭があったところのすぐ後ろに、チルタリスが悠然と羽を休めている。
余裕のある笑みをたたえるその顔には見覚えがあった。

「さっ、咲羽君!?」
「せっかく助けてやったのに何その反応。あのまま放っといて流されるの見届けたほうがよかったかなー」
「どういう――」

咲羽は虚ろに笑いながら、シルビィではなく、その背後を見ていた。
嫌な予感に振り返ると、平らな地面が少し先から下がっている。
緩やかな坂道が続き、やがて再び平坦になるとごろごろと石が転がり出した。濁った河川がその手前にまで迫り、坂と水の境界を成すかのように石が連なっていた。
おそらく、水量が増して河原が呑み込まれているのだろう。
シルビィの記憶に鮮明に残っていたのと比べると川幅も狭く、流れもいくらか穏やかだ――とはいえ入ればたちまち足を引っ張られるだろう強さだが。
しかし色は変わらず泥色だった。
ゆっくりと元のところに顔を戻し、咲羽を見る。
足先のいやな湿っぽさが、「わかっただろう」と自身の身に起きたことを裏付けるようだった。

「僕、もしかして」
「上流から流れてきた」
「……だよね」

予想はしてたが、改めて事実だとわかると幸運が逆に恐ろしく、よく無事だったなと身震いした。
確かに偶然にもそこに咲羽が居合わせたおかげと言えるが、実際、見捨てられててもおかしくはない相手である。
助ける気になってくれていたこと自体がラッキーだ。
こちらの考えなど知るよしもない咲羽が口を開く。

「アンタが居るってことは、あのバシャーモもいるんだろ? どこ?」

闘争心に燃えた目が怪しく光る。
――ああ、助けたのはそういうことね……。
咲羽の言葉がシルビィの脳裏に燕紅のことを浮かべさせた。
咲羽にとって、彼は目の敵だったのを思い出す。
助けてくれたのは善意でも何でもなかったのだ。

「今日は一緒じゃないけど……」

もちろん嘘だ。

「なんだ。あっそ」

返事が耳に入るなり、それなら興味もないと言いたげな素っ気ない言葉を口にしたのを聞くと、本当に運がよかったと再認識する。
事実を言えば、彼は奇襲をかけるに違いない。恩人とはいえそれを礼にはできなかった。
心の底で一息ついていると、咲羽の指が何かを摘んで、クルクルと暇潰しのごとく弄び始めた。草花のようだった。

改めて川の方を見た。
だいぶ経ったのだろう、自身の体はほとんど乾いている。
記憶が途切れる直前、狐笛がいつも持っていたはずの笛を見た。
彼女の身になにかあったのだろうか。まさか、川に落ちたり。
とにかく戻らないとと考えたところで、ここはどこだろうと疑問になった。
流されたのだから、流れとは逆の方向を目指せば元の場所にはたどり着けるだろう。
再度見渡すと川の他には目立つものは無く、平地が続いていた。

「それより――」
「ところでさ、猫さん知らない?」
「え?」

こちらの言葉を遮って、彼がまた問い掛けた。
聞き覚えがある名前……そうだ花畑で。
最後に夢羽たちに会った印象が強くて、猫とのやりとりはすっかり記憶から薄れていた。
そもそも大した時間を過ごしたわけでもないので仕方はないのだが。

「これさ、似たような物をこの上流で見たんだよね」

彼が手首の回転を止めると、慣性に従う植物はしなって首を振ってみせた。
差し出された彼の手中でしっかりとした厚さの茎が葉一枚生やすことなく伸びていて、頂点にたった一つ、桃色を包んでいる萼を設けていた。
桃色をした花だった、まだつぼみの。花畑にも似たようなのが咲いていた気がする。

「あんたの首んとこに付いていた」

と咲羽は言う。
花の中に潜り込んだ覚えはない。
いつの間に、という驚きと、あの激流の中でよくもまあ離れなかったものだという驚愕。
川に流されたものが、奇跡的に絡み付いたのだろうか。
わからないが咲羽からそれを受け取り、シルビィも言葉を繋げた。

「猫君なら、花畑で会ったんだけど」
「あ、まだあそこにいるんだ?」
「そうじゃなくて……」

シルビィはぎこちなく、川に視線をやる。
つられて咲羽もそちらを見た。
例の川。荒れた川の立てる騒音がいやによく聞こえた。
どうどうと流れる泥水をしばし無言で眺めていた彼の様子を、おそるおそるシルビィが見やる。
彼は無表情だったがやがて目を伏せ、あーあーと大袈裟な溜息をしてみせた。

「手のかかる奴」

露骨な舌打ちに思わずシルビィがびくりとする。
咲羽は立ち上がると、なまった腕を回したりした。

「探しに行くの?」
「だって猫さん、ひとりで帰れないだろうし。それに放っといてひとりで帰ったらクサリさんに怒られるし」

不機嫌そうな表情のまま濁流を見下ろすと、また呟く。

「面倒なんだよこの川。途中で何本も分岐してるから、猫さんどこ流れていったか分かんないし、全部探さなきゃ駄目じゃん……ったく何で流されてんの、あのネコ」

僕のせいだ、なんてとても告白できる空気ではなかった。
相槌を打つのも逃し、
けれど少年は沈黙に耐え切れず、いたたまれなくなって何か言葉を探し出した。

「最初から一緒に帰ったらよかったじゃん」
「仕方ないだろ、猫さんが子供に道案内するって言うから」

何気なく返されたその言葉にシルビィが反応しないはずがなかった。

「ちょ、ちょっと待って! それってもしかして、ロコンの女の子……!?」

声を荒げ尋ねるシルビィはいてもたってもいられず、咲羽の前に回ると彼に掴みかかって応えを強いる。
咲羽はそれを不審げに見やり、自身を揺する手を払いのけた。

「そうだけど、だったら何?」
「あ、あああ……」

思わず頭をかかえるシルビィ。
鋭い眼差しがシルビィを睨みつけたが、それに怯える余裕はなかった。
先程受け取った一輪を両の手で握って揺さぶった。

「よかった……よかった、無事だったんだ狐笛ちゃん……!!」

だから何が、といいたげな咲羽をよそに、湧き上がる安堵感に声を抑えられずにいた。
誘拐されたり、川に落ちたり、そんなことはしてなかったのだ。
おそらくまだあの場にいるのだろう。
それなら、燕紅やライラたちが見つけてくれるに違いない。あれだけの数がいるのだからきっと出来る。もう見つけているかもしれない。
ひとしきり思いを巡らせると、十分に満たされた心地に陥っていた。

これで迷子探しも無事に――

少年はふっと顔を上げると一変した表情で上流へ目をやった。
よく見るとここも少し傾斜になっているようで、向こうの方は見えなかった。
暖かな安寧を、じわりじわりと冷水が浸透して逆の気持ちに塗り替える感覚を覚える。

「戻らなきゃ」

果ての見えぬ視線の先を知ると急激な不安に駆られた。

「夢羽さんにエルフ君たちまでいたから、きっと狐笛ちゃんは大丈夫だけど」

震える声で呟きながら、咲羽を見上げる。
その顔は年相応に怯えて見えた。

「今度は僕が迷子じゃん」

自分の立場を再確認して青ざめた。
先程から黙ってシルビィの様子を見ている咲羽は、依然として平静を崩しはしなかった。
しばらく目を合わせたまま、瞬きするだけで口を開こうとはしなかった。
どうどうと激流が騒ぐ。大気がうなり低草が波打った。
自然の生み出す音の全てが、シルビィを焦燥させる要因となるには十分であった。

「ふうん。じゃ、頑張りなよ」

ようやくシルビィの耳に入ったのは、更に青くさせる言葉。

「咲羽君、送ってくれたり――」
「無理だね。俺は日が暮れる前に猫さんを探さなきゃだし、あんたに構ってる暇はないんだ」

そんな冷たくしなくても、と思うが、彼の事情も理解できるものだった。
困惑し、しかし何もしないのもかえって不安で、仕方なく再び上流に目を凝らした。
やはり、この先を一人で行くしかないのか。
途方に暮れてしばらく水の流れを見ていると、ふとある事に気付いた。
一度深呼吸して落ち着いて考える。
そうだ。流されてきたのなら、逆流すればいいのだ。簡単なことではないか。
シルビィは意を決した。

「咲羽君、地図とか持ってるんでしょ? せめて見せてくれてもいいんじゃないの」

言いながら視線は咲羽の肩に斜め掛けされていた袋に移される。
探検隊に普及しているトレジャーバックである。
探索の必需品からお宝まで種々様々な物質を、質量を無視して詰め込むことができる不思議な鞄だということを少年は知っていた。
ともすれば、地図の一つや二つあるに違いないと踏む。

「それがヒトにものを頼む態度なワケ?」
「いちいち細かい事いいでしょ。見せてください! ほら早く!」

焦りに呑まれ投げやりな態度の少年をやれやれと呆れたように一瞥すると、彼は下げていたトレジャーバックに片手を突っ込む。
見ずとも感覚でわかるのだろう、その中から地図と思しき筒状にまとめられた紙を探り当てた。
留め具を外して、巻かれていたそれをいくらか広げ始める。

「ここだね」

くるくると伸ばされては現れる紙面上に現在地と一致する場所を探していたのだろう。
一箇所を押さえると余分な部分を巻物のまま固定し、彼はそれを地べたに敷いた。
シルビィが地図を覗き込む。が、シルビィが想像していたものとは随分と違った。

「……ナニコレ」
「地図だけど」

焦げ茶色のしっかりした用紙の上に、黒色で無数の線と記号が敷き詰められている。
地名は書かれていたりするのでなんとなく意味はわかるのだが、シルビィの目には模様の書かれた紙としか映らなかった。
探検隊の使っている地図だろうか。
かろうじて方角を示す記号だけは以前に見たこともあり読み取れるが、他はさっぱりだった。

「え、これ、線とか、紙に単色で暗号……みたいなのがあるだけじゃん」
「地図記号も読めないワケ? ……ガキだから仕方ないか」

呆れた様子で言い残すと咲羽は新たに別の紙を取り出し、最初に出した地図の上に広げた。
こちらには上から大地を見たような光景が描かれていた。色もあり、これこそ、シルビィが思っていたものと同じだった。

「ドーブルが描いた上空から見た様子の地形図。これならわかるだろ?」
「うん」
「これ、頭わるい奴用だから」

さっきから一言余計だと言いたいところだが、頼んでおいたくせに文句ばかりではおこがましいと口をつぐんだ。
咲羽が地図に指を下ろす。
示した場所には平野が広がり、そこを貫通して川が走っている。
彼の指が川に沿って下へと動き、シルビィはそれを目で追った。
少し進むと木々が密集しており、川は見えなくなってしまう。
隠れた場所が見えてるかのように咲羽は紙面を辿り、やがて森の外に来たところで川が復活する。
そこを少し行くと樹木の根のように水が分かれ、彼はそのうちの一本を指した。

「花畑のある平地を過ぎて森の中を通った後、樹状にいくつにも分岐してるんだよね。ここもそのうちのひとつ」

その少し下のあたりで円を書く素振りをみせる。
そこが今彼らの立つ場所だ。
更に咲羽はそこから逆流し、先程は通過した流れの分岐点を押さえる。

「本流はここ。浜端の森の出口」
「ハマバタ?」
「この森のことだよ。たいした広さじゃないし、川について行けば簡単に抜けられるだろうけど」

まあ、よっぽどの方向音痴じゃなかったらの話だけど。と彼は補足する。
これがライラだったら無理だったなと思わず頭に浮かんだ。
もっとも、ライラが今回のような失敗をするとは思えないが。
確認するなり咲羽はさっさと荷物を撤収し出す。
彼も、急ぎたいのだ。

「ありがと。とりあえず、ここに沿って行ってみる」

礼を伝えて、進むべき方向を改めて見つめた。
見えないがこの先に森が展開している。そこを突破すれば皆に合流できる。
森か。一座の森を思えばなんてことはない。
もともと狐笛のこともひとりで探すつもりだったのだ。燕紅やライラがいない。それがどうしたことか。
握っていた花を懐に押し込んだ。

「あ、そうそう」

呼び止められて振り返ると、鞄の中身を整理する咲羽の姿がある。片付けの片手間であった。
また何か聞きたいことだろうかと心構える。
ポン、と軽く叩くように口を閉めて、ようやくシルビィに向き合った。

「浜端の森、お尋ね者が逃げ込んだ噂があるから、せいぜい気を付けなよ」
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