小説置き場。更新は凄く気まぐれ。
あれから二年の時が流れた。
――ほらリリス、起きな。置いてっちゃうよ?
森は相変わらず暗いけど、ここに満ちる澄んだ空気だって昔から変わらない。
都市とを繋ぐ橋の便を良くするために大通りが整備されたけど、それ以外は特別人の手が届いてない。
ずっと自然が残る森は今日までずっと穏やかだ。
――なんだ、まだ寝てんのか。……一つ驚かしてやるか?
――もう、ダメよー? そんなことやってるからリリスに恐がられるのよーアンタは。
陰を成す木々の間から漏れる陽光は暖かくて、それを浴びながら夢に浸るのが昔から大好きだった。
今日も、懐かしい夢を見た――懐かしい声を聞いた。
――……リリス、起き、ない?
――そのようだな。
――起きない、の。燃やす?
――やめとけ。お前、絶交されんぞ。
――あーらぁ、自分だって絶交されそうなことやろうとしてたのにねぇ。
――うるせェよ。
そうそう、一度眠るとなかなか起きなくて、皆に迷惑かけてしまって。
その度、皆でどうするかって言い合ってたらしい。
私は寝てたから、もちろん何を話してるかなんてわからないんですよね。
――リリス、リーリースってば!
――リリスちゃーん、いい加減にしないとお姉さん気が短いから燃やしちゃうわよー?
――やっぱり、燃やす、の?
――……叩き起こすか?
――全く、みんな穏やかじゃないんだから。……ってなわけで、代表で僕が水をぶっかけようと思いまーす。
――結局てめえも穏やかじゃねーぞ。
――それじゃあ代わりに大雨の幻でも魅せてくれる?
――ケッ、やなこった。
そう、火を点けられたことも、叩き起こされたことも、幻影に惑わされたこともない。
いつだって最後にはそんな答えになって、結局、私は相変わらずの方法で目を覚ますの。
――じゃっ! 満場一致ってとこで! ――せーえのッ!
「――おい、リリス!」
「はいっ!?」
水を掛けられる寸前の大声に飛び起きるより他なかった。
目を見開けば水辺が見え、それまでわからなかったのが不思議なくらいくっきりとしたせせらぎが聞こえた。
ひんやりと澄んだ空気が気持ちよい。
私がいる場所は緩やかな傾斜になっていて、少し下れば水平になった後に段になり水に呑まれている。
ふと手を着いたらがさがさと音が立って、そういえば草むらで眠りこけたのを思い出した。
ばくばくとした拍動はこの景色に似合わない。
森は相変わらず静寂の中にあった。
緊張で頭は思ったより冴えていて、そこですぐ、自分は水に濡れてなんてないと気付いた。
あ、もしかして直前で止めてくれ……あれっ?
おかしい。とようやく知覚した。
だってあれは夢の中の話だもの。
水を被るわけがないけど、それ以前に今、私には「仲間はいない」のだから。
……それじゃあ、さっきの呼び掛けは、さっきの声は――
「――はぁ。リリス、お寝覚め如何ですか」
「あ……カロッテ」
振り向いて見上げたのと同時に、視線の先の黒色が呆れたように問いかけた。
一瞬そこにいつかの青い影を見たけど、瞬きした次には跡形なく失せた。
そう、夢の中の幻を重ねただけだ。
きっとまだ眠いのね。そうに決まってる。
まだぼんやりしてる。
なんて考えてたら、相手は不思議そうに首を傾げてみせた。
「いつにも増して起きなかったけど、疲れてるのか?」
……ああ、やっぱり、青色じゃない。
見上げた先のカロッテを確かに認めて、どこか気落ちした私がいた。
彼女はそれに気付く風でもなく、といった様子だ。
「いえ、今日は良いお昼寝日和だから」
片腕を拡げると、反る陽光がキラキラと眩しかった。
相変わらず暖かい光は、なかなか目を覚ませない原因の一つかもしれない。
日だまりの外の彼女には、この暖かみはわからないかもしれないけれど。
そういえばこういう日、あの頃は仲間と良い日向を探したりしてたのを思い出す。
探すなんて言って、結局は適当な場所で眠ってしまうのがいつもだったけど。
「そっか。それなら、リリスが知るわけないか」
「何をですか?」
相槌と共に出した吐息が、彼女が苦い思いをした時に見せる仕草だった。
「ノティ様を見なかったか? 森の外も探したんだけど」
いやさ、と苦笑を浮かべたカロッテは、よく見れば話ながらも忙しなく視線を周囲に走らせている。
焦燥の色を浮かべた彼女の顔に、事態を悟るのは容易かった。
口から出たノティ様、とはノティカのことだ。
森のみんなの為に駆け回るのが好きだから、自然と皆から慕われ、それは私もカロッテも例外じゃなかった。
その性格上、当てもなく色んな場所を点々とすることが多く、カロッテは今回も見失ったんだろう。
最も、後を追うのはカロッテが勝手にやっていることで、ノティカが注意すべきじゃないのだけれど。
「ノティなら、お師匠様を探してましたよ」
聞こえればカロッテは勢いよく振り向き、放浪していた焦点が私に定まる。
会った、というよりは探し当てられたのが正しいけれど。
しかしカロッテは、理解しがたそうに目を細めた。
「師匠? 思索の原か?」
「それが、原っぱにはいらっしゃらないとかで――そう、確か外に探しに行くって」
そのまま目線を、水辺の向こうへ当てた。
追ってカロッテもそこを見る。
ここからは見えないけれど、あの辺りに例の道がある。
カロッテなら察することができるはずだ。
「スカイアローブリッジ……」
カロッテが呟いた。
道の先は巨大な白い橋に続き、多分、ノティカの行き先はそっちだ。
礼を述べて足早に向かうカロッテを想像しながら、彼女の方に向き直った。
しかし、その顔が陰って見えたのだ。
「変だな。思索の原からすら出ることが少ないお師匠様が、森の外へって」
「え?」
「……いや、考えすぎた。なんでもない!」
左右に頭を振るのは考えを打ち消すようだった。
何のことかと問おうとしたら、不意にカロッテが駆け出して小川の岩に飛び移った。
相変わらずなんて素早さなんだろう。
「もしレッドがいたら、ついて来いって伝えてくれ! ありがとリリス!」
「え? あの、カロッテ待って!」
戸惑う私に振り返って手短に言うと、岩と岩とを渡って、あっという間に向こう岸の茂みの中へ消えてしまった。
こちらの言葉は聞こえなかったんだろうか。
「そんなに急がなくても……」
結局、彼女はなにを深刻に考えていたんだろう。
あの様子じゃ、聞いても教えてくれなかったかもしれないけれど。
あの方が、森の外へ――
「森の外……」
何気なくカロッテが消えた先を見た。
ただの荒れた草むらだけど、その先には確かに道があるのだ。
スカイアローブリッジ。あれを渡れば大都市に着くのは知っている。
私が初めてあの橋を渡ったのは、いつの話だろう。
――ひっひどいです! 何も水浸しにすることないじゃないですか……!
――あっははゴメン! 僕は止めたんだけどシエイが催促してさあ。
――おいコラ、逆だサフィ。
――まあまあ、お水なだけマシだと思いなさい? あたしとレディなんて火つけようと思ってたんだから。
――火ッ!?
――これを気にリリスちゃんはちゃーんと起きる癖をつけてくれないかしらねぇ。ねえ、レディちゃん?
――うぅ……あ、あの、ジェゾ、あたし本当にもう少しで燃やされるところだったんですか……?
――うむ。
――ちなみにソイツ叩き起こそうとしてたぜ?
――あー、一番最初に驚かしてやろうとしてたイタズラ好きは誰だったっけなー?
――フン、実際に水ぶっかけたてめぇには言われたかねェな。
――……リリス、よく、眠れ、た?
――え? あ、はい! ええと、今日は良いお昼寝日和だったから……だ、だから起きれなかったんですけどね……!
――……そう。
「――森の外、かあ」
懐かしい夢を見たからかな、こんなことを考えるのは。
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