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小説置き場。更新は凄く気まぐれ。
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「わあっ……」


暖かに流れる風に吹かれ、歓声が聞こえる。

より近くで見る花の海を前にして、そう感嘆するよりほかになかった。
燎原の火のごとき勢いで、少し後ろを流れるそれなど耳に入らない。気付かない。


「狐笛殿、このどこかに居られるのでしょうか?」

しばらくそれらに心を奪われていた後、燕紅がおずおずと切り出す。
その言葉があとの二人に現実へと引き戻すような感覚を与える。
はっと恍惚の心地から頭を冷まされると、慌てて少女は口を開いた。

「見た感じだと、誰もいないように見えるけど……」

ライラはそう言いながら頭をぐるりと一回りさせる。

その一周の中で視界に映ったのは花畑と、急流と、森と、一行だけだ。


ここは平地。
だから、かなり遠くのほうまで見渡すことも出来るのだけれど、ざっと見た感じだと何かしらの影は見当たらないように思える。

それにはたして、狐笛が自分たちと同じようにつり橋を見つけて渡っただろうか。
一行は運良く猫に出会ったことでこちらの土地に足を踏み入れたものの、狐笛が同じような偶然に見舞われているとは到底思えない。
自力であのつり橋を見つけるよりほかはない。



「……花畑、どこまで続いているのでしょうね」
「どうかな。多分向こうは海だと思うけど」

あの川の幅を見る限りでは下流のものだ。
今は荒れているが、いつもは流れも穏やかだろうとうかがえる。
となれば海も近い、かもしれない。

ライラは答えた後、シルビィに目を移す。
すると視界に映った彼はどこか、花畑の遠くを見ているはずなのに、それを見てはいないようだった。


「……狐笛ちゃん、どこに行ったんだろ」
「花が好きなんだよね?」
「うん。でも――」

少年はそこで言葉を切り、代わりと言うかのようにその視線を広がる千紫万紅へと注ぐ。

やはりその中に狐笛と思える姿は、ない。

だからライラは敢えて、言葉の続きを促そうとはしなかった。


「……ここには……」


広大な花畑を前にして、出てくるのはため息だけである。
やはり、ここにはいないのだろうか。



「――ところで」

なかなか続けないシルビィの言葉を遮り、そんな発言がもらされた。
ただ素直に切り出す燕紅に集まる視線。
それに一度、彼は戸惑うように目を瞬かせた。

「何?」

シルビィも一度言葉を中断して彼を睨む。
それに一緒怯んだ彼だが、やがて落ち着きを纏いあたりを見渡すと、おずおずと続ける。

「は、はい……おかしいと思いませんか?」
「おかしいって、だから何がさ」
「猫殿ですよ」

その一言に、少年の顔が強張る。
自らのその表情の変化にすぐ気付くなり、咄嗟に睨みを閉じて顔を背けた。


――そうだった……!


心の中の自分が焦る。

燕紅の疑問の種の行方――つまりは猫なのだが、その猫の行く先を知っているのはあの時最後まであの場にいた自分だけで。
問いに対する答えを知るのもまた自分。

しかし自分はその答えという事実を伝えずにいたわけで。
伝えたところで猫が助かるわけではないし、一方でそうすることで他のふたりの中に不安が招かれることを恐れたという理由なのだが。
話して心が不安定な状態になれば、ろくに目的は果たせないばかりか、余計に問題を巻き起こす可能性が高い。

そう考えるシルビィの手の中に、知らずの内に汗が握られた。
今度はシルビィが惑う番だ。

「猫殿は確かにこちら側に居られたはずです。拙者達が橋を渡っている間にどこにも見当たらなくなるとは……」

先程のシルビィの行動に特に不審を覚えるでなく、燕紅はそう続ける。
こちらの心境を窺われていないことに一息つくと、

「そういえば……」

ライラはもう一度周囲を――先程とは違い目を凝らしてして見渡す。
すると。

「猫さんと会ったの、このあたりじゃなかったっけ?」

少女は視線をシルビィと燕紅の向こう側へ留めた。
ふたりも振り返ってみると、当たり前に数十メートル離れた位置に川、その向こう側には森が構えている。

「そう言われれば、拙者達が通り抜けた森の出口もあのあたりだったかと」

燕紅が指を立てる。
その先を辿るとなるほど、密集した木々が他に比べ疎らで、一部開けた場所がある。一行が抜けたのもそんな場所だった。

そんなふたりをよそに、シルビィだけはその視線を一つ手前の川岸に凝らす。
そこは他に比べ地盤が悪かったのか、ぐしゃりと潰れたように川のほうへと崩落している。

あとのふたりはそれには気付かない。


「ね、猫さんどうしちゃったのかな?」

ライラのそんな声に慌てて視点を森へと変更する。
その時にぱちりと、シルビィとライラの目が合った。

「さ、さあ? そ、それよりさ! そろそろ花畑のほう、詳しく探さない?」

言い様のない無言に、シルビィはわざとらしく話題を遠ざける。
瞳ははっきりとライラと燕紅を見上げて提案しているのに、明らかに声が波打った。
自信が足りないその声に、ライラは少しの間目をしばたたせる。

「え? ……あっ、そうだね。そろそろ捜索再開しよっか」

少女はシルビィに向き直ると、はっきりとその目を見据える。
しかしシルビィはそれをぎこちなくかわす。

「じゃ、じゃあ僕、川の辺り探すからさ! ふたりは花畑の中をお願いねっ!」
「あ、はい……?」
「ほらほら早く! 行った行った!」

理解しきれていないだろう燕紅をよそに、彼はふたりの背をぐいぐいと、川の反対側へ追い出すかのように押し出す。
よろけそうになるふたりは仕方なく歩みを進めるが、シルビィはその足が止まらなくなるまでずっとこちらを見送っていた。





「……どうしたんだろ、シィ君」
「?」
「ちょっと変じゃなかった? それに、こっち側に来るまでの間も何だか浮かない顔してた」
「そう、でありましょうか?」

しばらく歩を進め、シルビィに聞こえないだろう位置に来てライラが呟いた。
納得がいかない様子で小首を傾げる彼女を横に、燕紅はちらと、そのシルビィのほうを見やる。


しかし、彼の視線はシルビィに到達することはなく、代わりにその目は流れの少し先に定められた。



「……あれは?」





「あーもう……危なかったー……」

2人がようやく遠ざかったのを確認して、川の淵から流れに向き合うシルビィ。
先刻の猫の失態から学んで、そこまでギリギリに踏み出そうとはしない。

「でもやっぱり怪しまれたかなぁ、あれ」

明らか動揺を隠しきれそうでなかった自分にとってはあの行動が一番のその場しのぎだったのだが。
燕紅はともかく、ライラちゃんは鋭いし。
そう心の中でごちた後、しばらくの沈黙を急流に委ねる。


――でも猫さん、確かにロコンって言ってたはずだよね。


ちゃんとしたことは訊けなかったけれど、その言葉だけは確か。
それに、『ちっさいロコンちゃん』と修飾までしていたのだから、狐笛である可能性は高い。


「……」

ゆっくりと振り返る先に広がる花畑。
これだけ広かったら、やっぱりいるのかもしれない。
先程はマイナスに取れたその広大さが、考え方次第でプラスにみえた。

シルビィは再び考えこむが、そう間も経たぬうちに、

「――よし」

すたりと勢いよく立ち上がった。
あのふたりにはあんな風に言ってしまったし、とりあえずこの辺りだけ見回ってみようかと心に決める。



「? ……あれ?」

と、その視界を、今の自然に肥えた目には違和感のある何かがうごめく。
彼は今一度、その目をあちら岸――それももっと川を下ったところのほうへと向けた。
この未開の地には見馴れないものが見えた。
誰かいるようだ。
しかも、数人。





「もー! この川どこまで続いてるのー!?」

数刻前にも似たような声、そして言葉を聞いた気がする――と、一同は思う。
無論、声の主を除いて。

当の声のもとであるムルはやはりというべきか、例に倣いぶつぶつと何か一人言をごちたりしている。
それにまた夢羽は苦笑を浮かべるのだ。

「まあ、結構歩いとるしなぁ」

その顔は依然としてどこか沈んでいるように見えた。
盲目より目から感情を読み取ることは不可能だが、ムルから譲り受けた笛を両手で大事そうに手放さないあたりからも、誰よりも狐笛の心配をしているというのは確かだ。
大丈夫、と励まし続けてきたエルフも、そろそろどう言葉を掛けるべきか詰まり始めてきた。


そこで久しぶりの沈黙が訪れる。


「あーあぁ、まったく、大体あの子が夢羽さんのとこから離れたりするから……」

真っ先に濁流を聴き飽きたムルのようで、ひねくれ顔を向こう岸へと背ける。

その目には花畑が映し出される。


――あの子が迷子になんてならなかったら、あの花畑に行くんだけどなー……まあ、迷子探しやらなかったら花畑を知ることもなかったんだけど。


などと考えるムルの視界の端で、


「……ん?」


何か小さなものが動く。



「どうかしましたか?」

すぐ後ろにいたライドが一番に声を掛ける。
ムルはその質問を受けながらくるりと首を回す。

「なんか向こうに――」



そこでぴたり。


ムルの動きが一瞬停止する。





「え?」

シルビィも時を同じくして、集団に近寄る足を止めた。
その内のひとりがこちらを振り向いたのだ。



「あ」



ぱちりと重なる視線。



両者共に瞬きすること数秒。



その存在を理解すること一瞬。





「あああああああぁーっ!?」



目前の濁流音をも負かす叫びがあげられる。
大きく見開いた瞳は両者共に鋭く変わり、刹那に視線と視線がばちりと火花をあげた。

「ム、ムルちゃん? どうしたん?」

さて、ムルのすぐ側。
聴覚のいい夢羽には余計負担があったのだろうか、思わず塞いだ耳から恐る恐る手を離し、そう投げ掛けた。

「おや、鬼月陰の」

が、返答したのはムルではなくライド。
ムルはこちらの言葉に耳を傾ける様子もなかったのか、こちらに掛ける言葉は感じられなかった。

それでもあの叫びようと、ライドからの返答。
それだけで夢羽には大体の状況は察せられる。
すぐ隣でエルフの溜め息が吐かれたのが聞こえた。

「和尚さん悪い、どうやら……」



「なんでガキがここにいるのーっ!?」
「そんなのシルビィのセリフだよ!どうしてムル“君”がここにいるのさ!?」
「ちょっといい加減その呼び方やめてよねっ!?」
「シルビィのことガキ呼ばわりするからだよ!」

エルフが後ろで説明していることなどよそに、ムルはまた甲高く声を張る。
向こう岸で負けじと言い返すシルビィの顔に、少しばかりの余裕が生まれた。



「――つーわけだ」

そこでエルフがやれやれと争うふたりを見やる。
全くよく飽きもせずやるものだとか、川が隔たってくれているだけまだましかとか思う。

今の説明が無くとも、これだけ騒いでいれば夢羽も簡単に状況は掴めるだろう。

「シルビィさんも狐笛さんを?」
「かもな。でも、一人でか?」

ライドの呟きに相槌を返し、ふと頭を過ったことをぼやく。
その疑問を晴らすべく、ひとりが言い争いの中のシルビィに声を掛ける。


「シルビィ君!」

声の出所を頼りに名を呼ぶ、夢羽。
さすが一つの器官を失うだけあってか、彼の聴力に狂いはない。


「――って。あ! 夢羽さん!」

見事その声はシルビィへと届き、少年はころりと明るい声色へと変換する。
その素振りはまるで今まで夢羽に気付いていなかったかのようだ。
余程、ムルとの口論に気を取られていたのだろう。

夢羽の一声に、ムルは拗ねたように身を引いた。


「シルビィ君、なんでこんなとこに?」
「それは……って、あああ!?」

と、質問に答えるのを中断し、またも驚きの声を上げたシルビィ。
事を横目に見るムルが苛立ちを隠さない。

「ちょっと! 夢羽さんの質問に答えなさいよね!」
「待ってよ!それ狐笛ちゃんの……!?」

ムルのそれを一旦受け流した彼はそう言いながら目で示す。

その先には夢羽の手の内の――狐笛の笛。

狐笛が肌身離さずそれを所持していたということを、シルビィは知っているのだ。
それに夢羽はいち早く察し、見えない目を笛に落とした。

「ど、どうしたの、それ……?」

ふらふらと、冷静を保てないシルビィの歩はゆっくり踏み出される。
そうするとで、今まで守っていた川に飲まれない安全ラインは崩されてしまったわけで。



じんわりと地の緩む音になど、まだ誰も気付かない。
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