小説置き場。更新は凄く気まぐれ。
そこは街のはずれの荒れ地だった。
いつもなら疎であるはずその場所に今、群衆ができている。
彼らは円形に、何かを取り囲んでいた。
中心で、大玉に乗ったイーブイが歓声を浴びている。その場で器用に片手で立ってみせたり、額にボールをいくつも積み上げたまま静止したり……巧みに技を魅せるたび辺りから感嘆の声がもれる。
仮面をまとってはいるが、その身から明らかにまだ子供だと見て取れる。
何よりも、普通のイーブイと比べて異様だった。
珍しい色をしている、彼は色ちがいだった。
その透き通る白銀が客の目を奪う。
快技の終局、しゃりん、と円心で鈴が鳴った。
白銀のイーブイが地を蹴ったのだ。
高く跳ねると、小さな体はくるりとひとつ宙で孤を描いた。
ふたつめが回り、みっつめの後に降下する、重力のまま落ちてゆく途中くるりとよっつめをかました。
タンっ、と軽快なステップで白銀が着地したのを合図に、わっと声が上がる。
白銀がヒラリと身を翻す。
にっこり、無表情の仮面はそのままに、露な口元が笑みをたたえた。
どっと歓声が沸いた。
拍手が起きたのが方々から発せられる。
褒め言葉が飛び交う。
白銀は笑みと無言を崩すことなく観衆へ一礼した。
よく晴れた朝のことだった。
太陽が真上を通りすぎる。
観衆は皆消えて荒れ地本来の雰囲気が戻った後、ようやく荷物を片付けて帰路へと向かった。
客の大方は、腹ごしらえに行ったんだろう。
普段一座で食べてるか弁当だから、外食ってものに憧れた。
たぶん皆にダメって言われるけどね。
いつかの賑かさとは正反対なここで落ち合うことにしてたけど、僕のほうが早かった。
待ち人が来るまでの間を、道端の岩に座って潰してた。
しばらくして、耳に入った足音に振り向いた。面を携えたデルビルがいた。
「お疲れ様」
やっと話せるね、と持ち場からやってきたライラが苦笑している。
お面で顔を隠しているけれど、声色から感情は読み取れた。
今日の仕事はシルビィとライラのふたりだけで、それぞれ違う場所で芸を披露していた。
「そっちもね」
隣に腰を下ろす彼女に軽く返して、片手でずれてきていた仮面の位置を正す。
いい加減外したいんだけどな、これ。
仮面やお面で素顔を隠すのは一座のきまりで、これを着けてるうちは一座の仕事を遂行中なんだよ、と小さい頃に先代に教えてもらった。
まあ、なんでか先代と舞夢君だけは素顔だったけどね。
芸者として動く時、僕らは観衆の前でそれを外しちゃだめだった。
客に芸者の素性――素顔や性格や、とにかくそんなのはすべて見せちゃいけない。
演じる者であるうちは、なりきらなきゃならない。
だから周りに誰もいなくなるまで、僕らはまともに話もできない。
今はまだ仕事中だから、これを外せるのは帰ってからの話だ。
それまで僕らは、互いの顔に仮面を挟んで接しなきゃいけない。
面倒くさいこと決めたなあ、昔の一座の方は。つくづくそう思う。
でも確かに、演者がべらべら喋ってるのもどうだって話だ。
「来る途中にシィ君を観てたらしい方とすれ違ったけど、すごいね。お客さま、宙返りすごいすごいって連呼してたよ」
「へへっ、あんなの朝飯前だよ!」
胸を張って言葉を返した。
物心ついたころには技を学んでいたから、そこらの芸者に劣る気はなかった。
負けるとしても、大人に比べてシルビィの生きてる時間なんて短いのだから仕方ないと思う。
そもそも、大人と比べるのが公平じゃないけれど。
同じ歳でここまで到達する子はそういないようで、ちょっと誇らしかった。
「色ちがいなおかげでお客さんの興味引けちゃうからね、我ながら便利だなーって思うよ」
誇らしい、とまで考えたところで、そんなことを思い出した。
本来、イーブイは茶色い姿をしてるものらしい。
対して、シルビィは白銀色。
色ちがいという現象らしい。先代に聞いた。
何万に1つとか、それくらいの確率で起こるとか、遺伝子がどうとかこうとかでよくわからなかった覚えしかないけれど、何にしろ客寄せに都合が良いのはシルビィにはありがたいことだった。
物珍しがってみんな寄ってくる。
芸を見てもらえる機会が増えるんのだから、嬉しいに決まってる。
「綺麗だからね、シィ君の色」
笑いながら、ライラがそんな誉め言葉を呟く。
聞いてて気分が良い言葉だ。
「ありがと。進化するなら一番綺麗な色のになりたいなー」
珍しいだけあって、進化後の姿がどういう色になるかはよくわかっていなかった。
そういう本を見つければいいらしいけど、なかなか図書館みたいなとこには行かないし、きっと僕には内容が難しいんだろうと思い探してなかった。
なんて考えていたところにライラが口を開こうとして、はっとなる。
「何も道化師の為に将来選ばなくてもいいんだよ?」
苦笑いしている。心配してくれてるような声色にもやりとしたものを感じた。
上機嫌なシルビィの声が、かすかに濁る。
「やだなーライラちゃん。僕がどれだけこの顔好きだかわかってないの?」
別に義務でやってるわけじゃないと顔をゆがませても、仮面の下じゃそれも相手に見えない。
トゲついた反論は飲み込んで、あくまでも口元に平静をまとった。
「そんなことはないけど」
きっぱりと言い切る、ライラ。
「でしょ」
なんだ、わかってるんじゃない。
やれやれと息を吐いた。
芸者として道を選ぶ気満々なのだ、自分で決めたことである。
口を挟まないでほしい。
ぼんやりと、進化について考える。
進化を選べるのはいいなあ、なんてライラにうらやましがられたことがあったのを思い出した。
こんなに分岐があるのはイーブイくらいだ。
僕はどれにしようかな。
あ。色じゃなくて、能力的に考えたほうがいいかも。
タイプによって使える技も変わるわけだし。
そうじゃなくても特徴は違うしなあ。
身軽なほうがもっとアクロバットな動きができるのかも。サンダースとかどうかな。
得意のかげぶんしんや宙返りも、もっと工夫しやすくなるのかな。
色ちがいについて、良いことばかりではなかった。
その希少さ目当てにやってきた見物客なんて、芸のひとつもちゃんと見てくれない。
頑張っても、別のところしか見てもらえないのだ。
報われないことの虚しさったらない。
そういう意味では茶色いイーブイがうらやましかった。
僕は彼らと公平じゃない。
考えてから、自分の中での基準がすべて芸を行うことに当てられているんだなと改めて気付く。
打ち込めるものがあって自慢できるのか、あるいはそれしか頭にないことを悲観すべきか。
だって、現に夢中になれるのって、道化の仕事くらいだし。
ライラはもっと子供らしくしていいのにと思ってるのだろうが、一座の外に繰り出しても特に面白いことがあるわけではない。
遊ぶ、なんて言われても……この歳だったら、世間では友達同士で群れて遊ぶことが多いらしいけど、生憎一座育ちの僕の周りは大人ばっかりだ。
それに、そういう友人が欲しいと熱望してるわけでもない。
まあ、仕事好きだから別にいいけどね。
心の中でぼやきながら、立ち上がって数歩前へ出た。
視線を感じて振り向いたら、不思議そうにライラが見てる。
構わずトントンと地面を踏んだ。
「バック宙の練習だっけ、ライラちゃん前に見せてって言ってたでしょ。今ここでやって大丈夫かな?」
そんな約束を交わしたのをふと思い出した。
返事を待ちながら片足を滑らせて地面を確かめた。
しっかりしてて平らな地面だ。
「あ、うん! いつでもいいよ」
わあ、本当に? と再確認した声が弾んでいる。
それに首を縦にふって肯定した。
念のためにもう一度だけ踏み均して息をはいた。
やっぱり自分には遊ぶ時間は要らないや。
仮面を被って舞うのが合ってる。
もう考えるのはやめたやめた。
ライラのお面越しの期待の眼差しを受けても、観衆の視線に比べたらどうってことない。
宙返りは特技なんだ。
心の準備が整って、深く息を吸い込んだ。
「ちゃんと見ててよね、ライラちゃん!」
思い切り地面を蹴った。
空中へ跳ねた勢いにのせて体を反らすと仮面の隙間から空だけ見える。
やがて視界に大地が映りこむ、天地が逆転してるのが見えたところで一回転をかます。太陽を受けた白銀がきらめいた。
くるりとバック宙を繰り出した。
うまくいった、と確信した時、急に違和感がした。
顔にあったかすかな重みが消えて視野が拓けた。
えっ、と思うより先に、明るくなった視界では日差しが眩しくて思わず目をつむってしまう。
どこかでカランと何かが音を立てた。
何かっていうのが何なのかなんて決まってる。
そういえば仮面しっかり着け直すの忘れてた。
これまずいなと直感した時には下に地面が迫ってて。
着地の時に足にかかる衝撃をうまく受け止めきれなかった。
バランスが乱れて前のめりにがくんと崩れた。
ちょっ、まずいよこれっ!?
「うわっ!?」
ザリザリって音が耳元でした。
土の上に滑りこんだ。擦った痛い。
慌てて駆け寄ってくる足音がした。
「シィ君!?」
「い、たた……」
ゆっくり顔を上げたら心配そうなライラちゃんがいて、一応大丈夫だとはわかるように視線をやる。
その時に、景色の見え方からして仮面が外れたなって確信した。
ためしに顔に触れたけど、仮面はない。
やっぱりさっき飛んでったんだ。
「ねぇ、シルビィの仮面どこに飛んでったかなぁ……」
「仮面、ええと……」
だっていきなりのことで目が眩んだんだもん。
って自分をなだめたのに、お構い無く溜め息が出た。
予期するはずない失敗へのショックと、痛みと、あとかっこわるいのと……とにかく最悪で落としたそれを自力で拾う気にならなかった。
代わりにきょろきょろしたライラが、なにか一点を見つめて喋るのを打ち切った。
どうしたんだろう。よくみたらお面の下の顔が強ばって見えた。
まさか壊れてたりするんじゃないよね。
気になって同じ方向に顔を向ける。
何見てるんだ――「ろ」に続く前にぎくりとした。
回転の勢いのままふきとんだ仮面が少し先に転がってた。
真っ二つに割れてるだとか、そういう心配はなくてひとまずほっとした。
それだけならよかったんだ。
問題はその仮面を、ロコンの女の子がまじまじと見下ろしてたことだった。
いつの間に、なんてわからなかった。
こんなに近付かれるまで気付かなかったことに反省すべきだけど、今はそれどころじゃない。
足下にあった仮面を拾い上げて、その子はじぃっと眺めてた。
そんなに珍しいものなのかな、とかのんきに思う場合じゃないんだよ今は。
瞬間背筋に嫌なものが走る。
僕らは演じる者になりきらなきゃならない。
なのに僕は素顔をさらしてる。
しかも隣にライラちゃんや、側には荷物で、仮面がなくたって芸者だと見てわかる。
隠すためのそれは、ロコンが拾ってしまったんだ。
どうしよう、素性がばれちゃう。
仮面を見つめてたその子の目が、焦点を僕のほうに合わせてきた。
目が合うより先に咄嗟に顔を伏せた。
まともに相手の顔を確認できない。
素顔を見られちゃだめなのに、肝心の仮面はその子が持ってて、どうしよう。
そんな間に足音が近付いてたのを聞いた。
(ライラちゃんあれ返してもらってきてよ……!)
(ライラだって口利けないよ……!)
ちらっとライラに目配せしても困ったように首を振られた。
彼女にも規律があるから仕方ないけど少し薄情に思えてならなかった。
ライラちゃんお面してるだけマシじゃん!
「あのっ!」
明るい声にびくりとした。
ザッとライラが後退りしたのが聞こえてああもう融通きかせてよ! と恨んだ。
とかやってるうちにもその子は歩を進めてて。
打開策なんて思い付くはずない。
頭がぐわんぐわんしてきた。
歩み寄ってくるその子に、どうにか顔を隠しながら恐る恐る視線をのぞかせてみた。
そうしたらでんっ、とすぐ目前に仮面が現れてびくりとした。差し出されたのだ、仮面を。
仮面が邪魔してその子の顔が見えなかった。
突然眼前にこんなもの出されたら心臓に悪くて仕方ないでしょ!? って突っ込みたいけど堪えた。
もう散々だよ!
ああ、っていうかこれ、きっと失敗したところ見られてたんだろうなあ……。
なんて恥さらしだろう、と色んなことを悔いた。
あそこで踏ん張れてたら、こんなことには。
というよりまずちゃんと仮面の装備を確認すればよかったんだ。
そもそも、こんなところで約束果たすんじゃなかったっていうか、そうだよ早く帰ってればよかったんだ、とか考えたらキリがない。
気分が降下していく。
でもどうしろっていうの!?
「――すごかったのです!」
嬉々とした声が予想外で一瞬思考が停止した。
何だかわからなくて思わず視線を上げた。
本当にちょっと覗き見るだけだったのに、そんな考えも顔を隠すなんて考えもすぐ吹き飛んだ。
「あんなの初めてみたのです! とってもかっこよかったのですよ!」
目が合って花のような笑みをたたえられた。
にこやかに僕をじっと見てたその子に、思わず目を奪われる。
伏せてはいたけど僕は素顔を隠せてなかった。
そんなこと考えるのがあほらしくなった。
本当に僕は演者でいれたらそれで十分だったのかと自問自答した。
だって今すごく規律が恨めしい。
観衆は皆消えて荒れ地本来の雰囲気が戻った後、ようやく荷物を片付けて帰路へと向かった。
客の大方は、腹ごしらえに行ったんだろう。
普段一座で食べてるか弁当だから、外食ってものに憧れた。
たぶん皆にダメって言われるけどね。
いつかの賑かさとは正反対なここで落ち合うことにしてたけど、僕のほうが早かった。
待ち人が来るまでの間を、道端の岩に座って潰してた。
しばらくして、耳に入った足音に振り向いた。面を携えたデルビルがいた。
「お疲れ様」
やっと話せるね、と持ち場からやってきたライラが苦笑している。
お面で顔を隠しているけれど、声色から感情は読み取れた。
今日の仕事はシルビィとライラのふたりだけで、それぞれ違う場所で芸を披露していた。
「そっちもね」
隣に腰を下ろす彼女に軽く返して、片手でずれてきていた仮面の位置を正す。
いい加減外したいんだけどな、これ。
仮面やお面で素顔を隠すのは一座のきまりで、これを着けてるうちは一座の仕事を遂行中なんだよ、と小さい頃に先代に教えてもらった。
まあ、なんでか先代と舞夢君だけは素顔だったけどね。
芸者として動く時、僕らは観衆の前でそれを外しちゃだめだった。
客に芸者の素性――素顔や性格や、とにかくそんなのはすべて見せちゃいけない。
演じる者であるうちは、なりきらなきゃならない。
だから周りに誰もいなくなるまで、僕らはまともに話もできない。
今はまだ仕事中だから、これを外せるのは帰ってからの話だ。
それまで僕らは、互いの顔に仮面を挟んで接しなきゃいけない。
面倒くさいこと決めたなあ、昔の一座の方は。つくづくそう思う。
でも確かに、演者がべらべら喋ってるのもどうだって話だ。
「来る途中にシィ君を観てたらしい方とすれ違ったけど、すごいね。お客さま、宙返りすごいすごいって連呼してたよ」
「へへっ、あんなの朝飯前だよ!」
胸を張って言葉を返した。
物心ついたころには技を学んでいたから、そこらの芸者に劣る気はなかった。
負けるとしても、大人に比べてシルビィの生きてる時間なんて短いのだから仕方ないと思う。
そもそも、大人と比べるのが公平じゃないけれど。
同じ歳でここまで到達する子はそういないようで、ちょっと誇らしかった。
「色ちがいなおかげでお客さんの興味引けちゃうからね、我ながら便利だなーって思うよ」
誇らしい、とまで考えたところで、そんなことを思い出した。
本来、イーブイは茶色い姿をしてるものらしい。
対して、シルビィは白銀色。
色ちがいという現象らしい。先代に聞いた。
何万に1つとか、それくらいの確率で起こるとか、遺伝子がどうとかこうとかでよくわからなかった覚えしかないけれど、何にしろ客寄せに都合が良いのはシルビィにはありがたいことだった。
物珍しがってみんな寄ってくる。
芸を見てもらえる機会が増えるんのだから、嬉しいに決まってる。
「綺麗だからね、シィ君の色」
笑いながら、ライラがそんな誉め言葉を呟く。
聞いてて気分が良い言葉だ。
「ありがと。進化するなら一番綺麗な色のになりたいなー」
珍しいだけあって、進化後の姿がどういう色になるかはよくわかっていなかった。
そういう本を見つければいいらしいけど、なかなか図書館みたいなとこには行かないし、きっと僕には内容が難しいんだろうと思い探してなかった。
なんて考えていたところにライラが口を開こうとして、はっとなる。
「何も道化師の為に将来選ばなくてもいいんだよ?」
苦笑いしている。心配してくれてるような声色にもやりとしたものを感じた。
上機嫌なシルビィの声が、かすかに濁る。
「やだなーライラちゃん。僕がどれだけこの顔好きだかわかってないの?」
別に義務でやってるわけじゃないと顔をゆがませても、仮面の下じゃそれも相手に見えない。
トゲついた反論は飲み込んで、あくまでも口元に平静をまとった。
「そんなことはないけど」
きっぱりと言い切る、ライラ。
「でしょ」
なんだ、わかってるんじゃない。
やれやれと息を吐いた。
芸者として道を選ぶ気満々なのだ、自分で決めたことである。
口を挟まないでほしい。
ぼんやりと、進化について考える。
進化を選べるのはいいなあ、なんてライラにうらやましがられたことがあったのを思い出した。
こんなに分岐があるのはイーブイくらいだ。
僕はどれにしようかな。
あ。色じゃなくて、能力的に考えたほうがいいかも。
タイプによって使える技も変わるわけだし。
そうじゃなくても特徴は違うしなあ。
身軽なほうがもっとアクロバットな動きができるのかも。サンダースとかどうかな。
得意のかげぶんしんや宙返りも、もっと工夫しやすくなるのかな。
色ちがいについて、良いことばかりではなかった。
その希少さ目当てにやってきた見物客なんて、芸のひとつもちゃんと見てくれない。
頑張っても、別のところしか見てもらえないのだ。
報われないことの虚しさったらない。
そういう意味では茶色いイーブイがうらやましかった。
僕は彼らと公平じゃない。
考えてから、自分の中での基準がすべて芸を行うことに当てられているんだなと改めて気付く。
打ち込めるものがあって自慢できるのか、あるいはそれしか頭にないことを悲観すべきか。
だって、現に夢中になれるのって、道化の仕事くらいだし。
ライラはもっと子供らしくしていいのにと思ってるのだろうが、一座の外に繰り出しても特に面白いことがあるわけではない。
遊ぶ、なんて言われても……この歳だったら、世間では友達同士で群れて遊ぶことが多いらしいけど、生憎一座育ちの僕の周りは大人ばっかりだ。
それに、そういう友人が欲しいと熱望してるわけでもない。
まあ、仕事好きだから別にいいけどね。
心の中でぼやきながら、立ち上がって数歩前へ出た。
視線を感じて振り向いたら、不思議そうにライラが見てる。
構わずトントンと地面を踏んだ。
「バック宙の練習だっけ、ライラちゃん前に見せてって言ってたでしょ。今ここでやって大丈夫かな?」
そんな約束を交わしたのをふと思い出した。
返事を待ちながら片足を滑らせて地面を確かめた。
しっかりしてて平らな地面だ。
「あ、うん! いつでもいいよ」
わあ、本当に? と再確認した声が弾んでいる。
それに首を縦にふって肯定した。
念のためにもう一度だけ踏み均して息をはいた。
やっぱり自分には遊ぶ時間は要らないや。
仮面を被って舞うのが合ってる。
もう考えるのはやめたやめた。
ライラのお面越しの期待の眼差しを受けても、観衆の視線に比べたらどうってことない。
宙返りは特技なんだ。
心の準備が整って、深く息を吸い込んだ。
「ちゃんと見ててよね、ライラちゃん!」
思い切り地面を蹴った。
空中へ跳ねた勢いにのせて体を反らすと仮面の隙間から空だけ見える。
やがて視界に大地が映りこむ、天地が逆転してるのが見えたところで一回転をかます。太陽を受けた白銀がきらめいた。
くるりとバック宙を繰り出した。
うまくいった、と確信した時、急に違和感がした。
顔にあったかすかな重みが消えて視野が拓けた。
えっ、と思うより先に、明るくなった視界では日差しが眩しくて思わず目をつむってしまう。
どこかでカランと何かが音を立てた。
何かっていうのが何なのかなんて決まってる。
そういえば仮面しっかり着け直すの忘れてた。
これまずいなと直感した時には下に地面が迫ってて。
着地の時に足にかかる衝撃をうまく受け止めきれなかった。
バランスが乱れて前のめりにがくんと崩れた。
ちょっ、まずいよこれっ!?
「うわっ!?」
ザリザリって音が耳元でした。
土の上に滑りこんだ。擦った痛い。
慌てて駆け寄ってくる足音がした。
「シィ君!?」
「い、たた……」
ゆっくり顔を上げたら心配そうなライラちゃんがいて、一応大丈夫だとはわかるように視線をやる。
その時に、景色の見え方からして仮面が外れたなって確信した。
ためしに顔に触れたけど、仮面はない。
やっぱりさっき飛んでったんだ。
「ねぇ、シルビィの仮面どこに飛んでったかなぁ……」
「仮面、ええと……」
だっていきなりのことで目が眩んだんだもん。
って自分をなだめたのに、お構い無く溜め息が出た。
予期するはずない失敗へのショックと、痛みと、あとかっこわるいのと……とにかく最悪で落としたそれを自力で拾う気にならなかった。
代わりにきょろきょろしたライラが、なにか一点を見つめて喋るのを打ち切った。
どうしたんだろう。よくみたらお面の下の顔が強ばって見えた。
まさか壊れてたりするんじゃないよね。
気になって同じ方向に顔を向ける。
何見てるんだ――「ろ」に続く前にぎくりとした。
回転の勢いのままふきとんだ仮面が少し先に転がってた。
真っ二つに割れてるだとか、そういう心配はなくてひとまずほっとした。
それだけならよかったんだ。
問題はその仮面を、ロコンの女の子がまじまじと見下ろしてたことだった。
いつの間に、なんてわからなかった。
こんなに近付かれるまで気付かなかったことに反省すべきだけど、今はそれどころじゃない。
足下にあった仮面を拾い上げて、その子はじぃっと眺めてた。
そんなに珍しいものなのかな、とかのんきに思う場合じゃないんだよ今は。
瞬間背筋に嫌なものが走る。
僕らは演じる者になりきらなきゃならない。
なのに僕は素顔をさらしてる。
しかも隣にライラちゃんや、側には荷物で、仮面がなくたって芸者だと見てわかる。
隠すためのそれは、ロコンが拾ってしまったんだ。
どうしよう、素性がばれちゃう。
仮面を見つめてたその子の目が、焦点を僕のほうに合わせてきた。
目が合うより先に咄嗟に顔を伏せた。
まともに相手の顔を確認できない。
素顔を見られちゃだめなのに、肝心の仮面はその子が持ってて、どうしよう。
そんな間に足音が近付いてたのを聞いた。
(ライラちゃんあれ返してもらってきてよ……!)
(ライラだって口利けないよ……!)
ちらっとライラに目配せしても困ったように首を振られた。
彼女にも規律があるから仕方ないけど少し薄情に思えてならなかった。
ライラちゃんお面してるだけマシじゃん!
「あのっ!」
明るい声にびくりとした。
ザッとライラが後退りしたのが聞こえてああもう融通きかせてよ! と恨んだ。
とかやってるうちにもその子は歩を進めてて。
打開策なんて思い付くはずない。
頭がぐわんぐわんしてきた。
歩み寄ってくるその子に、どうにか顔を隠しながら恐る恐る視線をのぞかせてみた。
そうしたらでんっ、とすぐ目前に仮面が現れてびくりとした。差し出されたのだ、仮面を。
仮面が邪魔してその子の顔が見えなかった。
突然眼前にこんなもの出されたら心臓に悪くて仕方ないでしょ!? って突っ込みたいけど堪えた。
もう散々だよ!
ああ、っていうかこれ、きっと失敗したところ見られてたんだろうなあ……。
なんて恥さらしだろう、と色んなことを悔いた。
あそこで踏ん張れてたら、こんなことには。
というよりまずちゃんと仮面の装備を確認すればよかったんだ。
そもそも、こんなところで約束果たすんじゃなかったっていうか、そうだよ早く帰ってればよかったんだ、とか考えたらキリがない。
気分が降下していく。
でもどうしろっていうの!?
「――すごかったのです!」
嬉々とした声が予想外で一瞬思考が停止した。
何だかわからなくて思わず視線を上げた。
本当にちょっと覗き見るだけだったのに、そんな考えも顔を隠すなんて考えもすぐ吹き飛んだ。
「あんなの初めてみたのです! とってもかっこよかったのですよ!」
目が合って花のような笑みをたたえられた。
にこやかに僕をじっと見てたその子に、思わず目を奪われる。
伏せてはいたけど僕は素顔を隠せてなかった。
そんなこと考えるのがあほらしくなった。
本当に僕は演者でいれたらそれで十分だったのかと自問自答した。
だって今すごく規律が恨めしい。
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